愛は いつでもそこにあるだわら。目に見えないだけで。

はてな匿名ダイアリー 泣きながら語れるほど好きなものって、何かある?

泣きながら語れるほど好きなものって、何かある?
この前の土曜からそんなことを考えている。その日、オタ友達と二人で居酒屋で飲んでいた。

彼は『バクマン』と『少女ファイト』が王道的少年漫画でありながら何故現代性を帯びているのかについて喋っていた。

曰く、「『少女ファイト』は明確なライバルを作らない。キャラクターが対峙するのは常に己のトラウマとコンプレックス。

敵を個人の内部に置くことが現代性を生んでいる。対して、バクマンは明確なライバルは存在するが

主人公たちの漫画論や薀蓄が読者と擬似コミュニケーションをし、触発された読者は自らも漫画論を語りだす。

非常にブログ的な漫画。漫画キャラにトラックバックを送ることで読者たちのコミュニケーションも活発になり、盛り上がる」。

内容の是非はともかくとして、僕は彼の話を聞くのが好きだ。そして、話題はニコニコ動画になった。

彼は「実況動画」にハマッていると教えてくれた。

ゲームをやりながらプレイヤーのトークするというもので、要するにゲームセンターCXらしい。

自分はニコニコ動画を全く見ないので何が面白いのか教えてくれと言うと

その中でも他人の作ったRPGツクールをやってみた、という企画シリーズが好きらしい。

彼の説明によると中古ソフト屋で買ってきたスーファミのRPGツクールから、

中のデータが残っているのを探して、以前の所有者が作ったRPGをプレイしてみる、という企画らしい。

友人はその動画について語りだすととたんに熱くなり、ほとんど理性をなくして語り始めた。

「こんなすごいものはない!」「これほど感動する企画は見たことない!」とか、とにかくすごい、すごいと連呼する。

「ある年代のオタクが確かに過ごした青春の一ページを垣間見せる上質のドキュメンタリーだ!」

「誰にも知られず消え去るはずだった個人の歴史を保存する文化的事業だ!」「民俗学だよ!」

などとまくし立てていた。冷静さを失っている彼の言葉にはまるで興味が湧かず、半ば呆れて聞き流していた。

すごい、すごいと言うだけの彼は次第に感極まり目に涙を溜め、頬を伝い始めた。

理性を失った彼を見て、呆れ果てるはずが、僕の頭の中でまるでニコニコ動画のコメントのようにある言葉が横切ったんだ。

それはウォン・カーワァイの映画『恋する惑星』について語ったタランティーノの言葉だった。

「僕は自分が泣いているのに気づいた。それは、こんなにも僕がこの映画を愛してるってことが嬉しすぎて、泣いたんだ」

それはいつまでも消えなかった。頭の中を通り過ぎて彼方に消え去るはずが、ぐるぐるとループし始めた。

いつしか泣くほどまでに愛せるものが存在する彼が心底羨ましくなっていた。

そして、そんなものを何一つ持っていない自分にたまらない劣等感を覚えたんだ。

次の日、彼からのメールでその動画がリストになっているURLが送られてきた。

でも、まだ動画は見ていない。それは劣等感に対する一種の抵抗でもあるが、画面をスクロールしてみたらわかると思う。

http://www.nicovideo.jp/mylist/7938167

語るために好きなんじゃないと思う反面、それだけ好きで何か考える材料になるものを持っているは羨ましくもあったり。