愛は いつでもそこにあるだわら。目に見えないだけで。

長文が書けない

 ロジカルな長文が書けない。学校教育に問題があるのかな。読書感想文とかダイジェストをお送りしつつ「主人公がこうしたことはすごいと思います」的な内容だった覚えがあるので、そんな気もする。
ということを
俺がキャラが死んだりするエロゲとか好きな理由 - G.A.W. 10 1/15
を読んで思ったりした。


試しに思うところについて長文にする努力をしよう。

・新房監督なる人(の手法)が嫌い。
・アニメ化物語で、ただの文字や文字で作った風景をだだ映しにする演出がされていて、それは世界にあっていると思った。
・アニメひだまりスケッチ☆☆☆でも、そんな手法が見られる。
・アニメの為じゃなく、シャフトという制作会社(一言でいうと冨樫義博)側の都合により重宝されている気がするから。
・だから作品に関わらず手法でぶっ壊す新房監督が嫌い。

やべえ、内容書き出したら飽きた。
清書はいいや。どうせ文の前後が変わるだけで3〜4行で終わる。


 なんであの演出が苦手か考えよう。
あの演出されると世界が薄っぺらく感じる。アニメで見ている三次元世界が。
漫画、アニメ、ゲームといった、視覚情報に訴える媒体は、情報が多いほど「世界が濃く」感じる。見せ方として濃さの程度に強弱をつけることはあると思うけど、情報が少なければ少ないほど、「狭い」「薄い」と思う。
で、漫画原作でそもそもひだまりスケッチという世界があったのに、アニメでその世界より「狭さ」を出されると安っぽく感じる。
「シャフトがいつものやつで手抜き工事かー。手抜き演出かー」ってメタなことを考えるのが嫌なのかもしれない。
化物語は小説で、情景を想像するのは自分の頭だったから、イメージした情景と視覚情報の差異が気にならなかった(だから許容できた)んじゃなかろうか。


文章で好きなだけ考えてすら自分の伝えたいことを表現できてないと思うのに、会話でそれをやるのはものすごくハードル高い